安藤鳴人相談室② ソガのエミシの子供って誰でしたかしら

詩誌「なだぐれあ」第2号(1988年2月発行)所収

安藤鳴人相談室②

ソガのエミシの子供って誰でしたかしら?

【質問】あたくしは38歳のごく平凡な主婦でございます。夫はある小さな会社の万年係長をしています。夫のお給料はいっこうに良くならず、あたくしも時どき身体を売らなければ家計のやりくりができません。どうしてこんなウダツの上がらない人と一緒になっちゃったかなとホゾをかんでは、そっと目頭をおさえてしまう毎日なのでございます。
 そんなあたくしの希望の星は、中三になる一人息子だけです。おかげさまでこの春、某有名私立高校に進学が決まりました。合格の知らせを聞いたときは、あたくしも嬉しさのあまり、
「ごほうび、何でも叶えてあげますよ」
と言ってしまいました。そうしたらあの子ったら、
「それじゃママ、ぼくを男にして」
なんて言うものですから、
「ええ、ええ、お安いご用ですとも」
と、ニッコリうなずいてあげました。すると息子は、
「ハハハ、冗談だよ。一柳展也みたいになりたくないモンな」そう言って笑うのです。狭き門を見事クリアした少年らしい、それはそれは爽やかな笑顔でした。
 そんな末頼もしい子なのですが、ひとつだけ気にかかることがございます。学校の先生にお聞きしますと、歴史だけは苦手なようなのです。暮れの期末試験で「徳川八代将軍は?」との設問に「暴れん坊将軍」と解答したというのです。そればかりではありません。「日本海海戦の司令長官は?」に「グレート東郷」と答えたともいうのです。これを知ったとき、あたくしはゾッとしてしまいました。いったいあの子はなぜ歴史ができないのでしょうか? あたくしにはわかりません。どうぞ、その原因をお教えくださいませ。(日本のイオカステより)

【答え】ふうむ。確かに深刻な問題ですな。最大の原因は、やはり息子さんに対するお母さまの期待が、あまりにも大きすぎることにあるのではないでしょうか。苦手な科目が数学でも英語でもなく、歴史だという点に注目しなければなりません。息子さんは無意識のうちに自己の個的時間を忌避しようとしているのだと思われます。簡単に言えば、「ぼくの時間はお父さんの時間とストレートに繋がってるんだよ。お母さんの期待には応えてあげたい。でも、むやみに期待されたって困るんだよ」――息子さんは自己の歴史感覚をわざと歪めてみせることによって、そのことを無言のうちに訴えようとしているのではありますまいか。
「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得していく過程の叙述である」とは、あまりに有名なヘーゲルの言葉ですが、これを一言で言い換えると、「世界史とは自意識の過程の記録である」という具合になります。つまり、歴史とは自意識の別名にほかならないのです。自意識が歪めば、歴史感覚が歪みはじめるのは当然なのであります。
 そうです。お宅の息子さんは歴史が「できない」のではなくて、むしろ自意識の歪みに鋭敏に反応し、そのディレンマを悲痛な声で表現しているだけなのです。お母さんはそのことを判ってあげなくてはいけません。醜いアヒルの子は、もうどこにもいなくなりました。街を歩いてみても、ブスの姿はまったく見当たりません。眼にとまるのはただのアヒルばかりではありませんか!
 はっきり言いましょう。お母さまのとるべき道はひとつしかありません。一切の過大な期待を即時停止すること、これです。期待をかけなくてもカエルの子はカエルだし、アヒルの子はアヒルなのです。どうしても母親としての夢が棄てられなかったら、試みにご主人の歴史感覚をテストしてみたらいかがですか。今夜にでも、ご家族団らんの場でさりげなくこう聞いてみるのです、「ねえお父さん。ソガのエミシの子供って、誰でしたかしら」。――そのとき、もしご主人が「ええと、馬子だったかな、入鹿だったかな」と言ってくれたら、息子さんのことで心配なさることはまったくありません。でも、予期に反して万が一、ご主人が「ソガ兄弟だろ」とでも答えようものなら、息子さんのそれは明らかに遺伝形質です。そのときはスッパリお諦めなさい。さもないと息子さんは、それこそ第二の一柳展也になってしまいかねませんよ。
<そしてとうとう、決心した展也君は、金属バットで父親を殴り殺し、母親の寝室へ入り込んでいった>(寺山修司)

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