まだ小学生だった頃、アメリカのテレビ番組で「パパは何でも知っている」というホームドラマがあった。車庫付き・庭付き・一戸建てのモダンな家庭で暮らす中年夫婦に、10代の長男バド、長女ベティ、10歳未満の末っ子キャシーと揃った3人の子供。毎週この子供たちがさまざまな困りごとを抱えて外から帰ってくると、ニコニコと優しいパパがいつでも何でもクールに解決してくれて、子供たちが笑顔を取り戻すという筋立てで一貫していた。それはアメリカの平均的な中流家庭の日常風景を点綴したものだが、やっとテレビを買ってもらったばかりのまだまだ貧しかった日本の子供にとっては、夢のようなおとぎの国のお話でしかなかった。
一方、その当時の日本の平均的な家庭生活を彷彿させるホームドラマといえば何だろう。「サザエさん」だろうか。しかし「パパは何でも知っている」が核家族世帯だったのに対し、「サザエさん」は磯野浪平の世帯とフグ田マスオ世帯とのかなり風変わりな複合家庭である。むかし『磯野家の謎』という際物本が話題になったぐらいだから、どう見てもこのサザエさん一家は当時の日本における平均的な家庭像からはほど遠いと言わざるを得ない。ただし、父親が大工の棟梁をしていたわが阿部家などでも、出稼ぎの職人たちや見習いの弟子たちが何人もひとつ屋根の下で寝起きし、私たちの家族と同じ釜のメシを食べていた。それも十分に風変わりではあったが、そんな貧乏雑居生活なら東京の下町のどこにでも垣間見られた風景でもあった……。
むしろ、当時の日本における典型的な家族像といえば、小島信夫の小説『抱擁家族』に描かれたもののほうがより現実に近いと思う。その有名な書き出し、「三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れている、と」――この三輪家の中年夫婦、俊介と時子には良一とノリ子という成人前の2人の子供がいて、家政婦のみちよや、そのアト釜の正子、三輪家に出入りする数人の若い人たちでドタバタが繰り広げられ、主人公俊介の悪戦苦闘にも関わらず、果ては一挙に家庭崩壊へと突き進んでゆく。もっともここでの<崩壊>とは、現在の私たちの家庭関係がうまく立ちゆかないのと同程度の<困難>を表しているに過ぎないのだが……。
タイトルにある<抱擁>という文字は小説中に一度しか出てこない。俊介が新居を建てる際に、庭にプールを作ることを夢見るくだり。「俊介はいつのまにか、楽園が家の中に出現すると思うようになっていた。/夫婦がプールで泳いでたわむれている。それから芝生の上で抱擁しながら倒れる。……」しかるに小説を読み終えた後には、タイトルで使われた<抱擁>という言葉は、そんな楽園のイメージなどとはほど遠い、家庭崩壊を必死に押しとどめようとする主人公の悪足搔き的動作を象徴するものだと理解できる。
そして、あのアメリカの理想的家庭「パパは何でも知っている」の安定感たっぷりの世界と、この日本的な三輪家の不安定な世界との間には大きな落差があると言わざるをえない。ではその違いとは何か。そしてそれはどこから来るのだろうか。私には、この2つの世界の落差を象徴するものとして、それぞれの家庭における子供の数の違いを挙げることができるように思う。1974年(昭和49年)の総理府調査では、「夫・専業主婦・子供2人」の家族構成が最多数を占め、最近まで長く<標準世帯>のイメージを形作ってきた。<標準世帯>イコール日本の<現実世帯>ということでもある。
ここで<俊介>つながりのジョークでもないが、三輪俊介の物語から、芹沢俊介が書いた『家族の現象論』という1970年代の家族論に眼を転じてみよう。芹沢はこの論考の中で、同じく1970年代に性問題・婦人問題で論陣を張った医事評論家、村松博雄の「避妊の思想」(『現代の女性』ジュリスト増刊1976年6月)という論文に着目している。村松の研究によると、戦後ピルとリングの開発によって、女性が初めて避妊のイニシアティブを身に付けることが可能になり、産児コントロールの自由を獲得するようになったと指摘されるのだが、芹沢はこの産児コントロールの自由がそれまでの<貧乏人の子沢山>的育児状況に歯止めをかけ、70年代の日本人の<中流意識>の勃興を促したのだと指摘する。村松の調査報告を援用しながら芹沢はこう言う。「子供2人を持っている夫婦に、あと何人の子供が欲しいかという質問をぶつけたのに対し、1955年(昭和30年)では<あと1人>が30.8%、<あと2人>が20.7%、1963年(昭和38年)では、<もういらない>という答えが70%を超え、<あと1人>が22.8%、<あと2人>が3.2%、あわせて25%であった。このことは現実の子供数2人という大勢が固定化しはじめたことを告げている。これに対し、1971年の調査では、理想の子供数は3人以上という答えが60%を占めている。村松博雄はこの理想の子供数3人に対し、現実には平均2人という事実の示す落差に、中絶手術と避妊の問題を見定めている。これは痛切な指摘である」(『家庭の現象学』)
つまり、「パパは何でも知っている」の子供3人の理想的家庭像に到達できない多数の日本人が、『抱擁家族』ふうの子供2人の現実的家庭像に甘んじざるをえない事情があるということ。それを中絶手術と避妊によって可能にしているということ。さらに芹沢はこの「3人目の子供」を避ける日本人の禁欲意識の中に、<中流家庭>への潜在的な願望があると見る。芹沢は続けて言う。「『中流意識』は、別言するなら、生まれるべき<1人の子供>の殺害を代償としており、中絶された生命の血を吸って咲いたあだばなである。いや、資本と国家に咲くことをしいられたあだばなである。そしてもうひとつ付加しておけば、この『中流意識』は、大衆の家族を物質的にも精神的にも決して解放しない。貧しさは払拭されたのではなくほんとうは、家族の意識が物質という外延性を意識下に追いやったそのぶんだけ内向化したにすぎないからだ」(同)
これはまさに至言である。その後バブルが弾けた瞬間に、<中流家庭>が幻想のあだばなに過ぎなかったことは、みんながイヤというほど実感させられたのだったから。当時私の職場は、日比谷公会堂の入るレトロな建物のなかにあった。毎朝地下鉄を降りるといつも日比谷公園のなかを歩いて出社するのだったが、バブルの頃はよく公園の片隅で数人のホームレスが朝から酒盛りをしていた。車座になった地面にはレミーマルタンやカミュのナポレオン、豪華な松花堂弁当などがずらりと並んでいた。銀座の裏通りや帝国ホテルの厨房裏からの供出品だったのだろうが、出勤時の眠気も吹っ飛んでしまうその驚きの情景こそは私にとって何よりも<バブル>を象徴するものであり、<あだばな>そのものだった。彼らの傍ににじり寄って、「僕も混ぜて」と言いたくなるのをぐっとこらえつつ、いつかバブルは弾ける、あだばなは萎むと自分に言い聞かさないでは歩くのがバカらしくなる通勤ルートではあった……。
現在、日本の出生率が危機的数値を示すようになり、政府や各自治体があれこれと対策を捻り出している。「結婚支援事業」やら「出産育児一時金」やら「幼稚園・保育所無償化」やら「義務教育無償化」やら――。しかしこれらはすべて<子育て支援事業>であって、<少子化対策>とは次元の異なる一時の便法でしかない。それではどんな少子化対策が有効なのか。頑迷固陋な政治家たちによって「中絶禁止法」とか「避妊具販売禁止法」でも制定されれば良いのか。いやいや、少子化対策というなら、まずは少子化の原因を掘り下げて考えるところから始めなければならないだろう。
まず先に挙げたような、芹沢俊介や村松博雄が1970年代に見据えた、<中流意識>が避妊手段の進歩によって産児制限を促しそれが少子化への道を開いたという図式は、バブル崩壊の後、<中流家庭>の減少によって論拠を失ってしまったのだろうか。いや、そうではない。バブル崩壊によって自らの<中流意識>が幻想だったと思い知らされた多くの人たちには、まだ<高学歴化社会>のイメージが厳然として残っている。<中流社会>の根本を形作るのは<高学歴>であり、中流幻想から遠ざかった人たちもまだ我が子の<高学歴化>への未練までは断ち切るわけにはいかないのが現実だろう。芹沢が言及する。「『高学歴化』の要請はむろん、高度経済成長の実現をめざす国家意志から発せられたものである。けれどもそれと同時に、私たちは、大衆の禁欲意志の実践でもあるともうけとる。高学歴を我が子に身につけさせるためには、そこにもたらされる窮乏は程度の差はどうあれ耐えるべきであり、また耐えることができなくては我が子の高学歴化はかなわぬからである」(同)
私が東京の下町の中学を卒業するとき、クラスの半分は進学せず就職志望だった。高校を卒業するときもクラスの半分が就職の道を進んでいった。当時は大学進学は4人に1人の時代。いまは2人に1人の時代だとか。これからは3人に2人、4人に3人と、限りなく100%に向かって進学率が増えてゆくのだろう。
子供を産むほうも、生まれる子供のほうもどんどん大変な道へと突き進む。比喩的に言えば、芥川龍之介の『河童』の世界が現実化しつつある。『河童』の世界と同じようにこれからの日本では、父親が生まれてくる子供に聞こえるように、母親の胎内に向かってメガホンで問いかける。「お前はこの世界へ生まれて来るかどうか、よく考えた上で返事をしろ」すると子供は「お父さん、僕は生まれたくありません。高学歴化社会なんて、お父さんもお母さんも、はたまた僕自身も生涯苦労するだけの虚しい世界ですからね」と呻くような拒絶の声。すると突然、今まで大きかった母親のおなかは、水素ガスを抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいましたとさ。<高学歴社会>という幻想も、<中流意識>という幻想と同じく大きな犠牲の上に咲くあだばなであることに変わりはない。これまでのところそれが、芹沢俊介の指摘のように「生まれるべき<1人の子供>の殺害を代償として」咲くものであったとしても、やがてはそれが<1人の子供>だけで収まらず、<より多くの子供>の犠牲を強いるのは当然なわけであって、少子化はこれからも歯止めなく進んでゆくだろう。
したがって少子化対策の根本に横たわる問題は、この<高学歴>へ<高学歴>へと草木もなびく風潮をどうするかということではないだろうか。今朝もわが家の前を集団登校の小学生たちが黄色い帽子の列を連ねて歩いてゆく。いちように眠そうな生気の無い顔をうつむけて老人のようにトボトボと……。10年ほど前にJR武蔵浦和駅前の雑居ビルに入るフリースクールを取材で訪問したことがある。県庁NPO活動推進課のサイトに「目覚ましい活動をする県内のNPO団体」という記事を作るために、多くの団体に取材を申し込んだうちのひとつ。校長先生は私よりひと回り年上のお爺さんだった。どうやらむかしの全共闘活動のせいで大学卒業後に就職できずに学習塾講師を勤めていたが、時代の要請からこの塾もフリースクールへと舵を切って、その校長先生になったということらしい。ここに登校してくる、いわゆる不登校児たちは年齢も服装もさまざまで、和気あいあいとみんなではしゃぎあい、見知らぬオジサンにも屈託ない笑顔であいさつしてくれた。集団登校という小学生たちの慣習は交通安全対策が主たる目的で始まったのだろうが、それを毎朝わが家の玄関前で見送るこの老人の眼にはむしろ、その目的が不登校の落ちこぼれ防止のため、ひいては<高学歴化社会>への順応のための事前準備であるように見えてしまう。フリースクールで知り合った子供たちは、そうした<集団行動>を唯々諾々と受け入れるご近所の子供たちとはまるで違った人種に見えた。