2024年4月17日付東京新聞の社説にこんな見出しと記事が載っていた。
<死刑執行の通知 人間らしい最期の時を>(以上見出し)
<死刑執行を当日に通知する運用は違憲だと死刑囚2人が訴えていた訴訟で、大阪地裁は訴えを退けた。だが、当日の通知では家族らとの面会もできない。国際的には非人道的な扱いとみなされる。この運用は見直されるべきだ。
死刑執行は今なおベールの中。現在の運用では執行当日、1~2時間前に知らされ、そのまま死刑囚は刑場に連行されるという。
この運用だと不服申し立てができず、「適正な手続きによらなければ処罰されない」と定めた憲法31条に反するとの訴えだった。
だが、大阪地裁は「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受すべき義務を負う」と述べて、原告の求めを退けてしまった。
死刑は人の生命を奪う特別な刑罰である。執行のみが刑罰だが、当日の通知では執行までに残された時間は限られる。
それを考えれば死に直面する人に対し、もっと人間らしい対応があってしかるべきではないか。(後略)>
これを読んでふと、今から20年ほど前になるか、どこかの風俗業界の縄張り争いで、一方のグループがもう一方のグループのボスを監禁し、身体をイスに縛りつけたままチェーンソーで斬首した事件の裁判を思い出した。その判決文のなかで裁判官は、<「殺される前にひと目家族に会わせてくれ」と懇願する被害者の言葉に耳を貸さず、問答無用と犯行に及んだ加害者には情状酌量の余地がない>と述べたのだ。この裁判官なら、上の東京新聞社説にあるこのたびの大阪地裁判決をどう評価しただろうか……。
それはさておき、上記の社説は読者からの反響が大きかったようだ。3日後の20日の同社社説はもう一度この問題に触れて、こう書いている。
<「人間とは何か」考え続けて>(以上見出し)
<読者から重い問い掛けが本社に届きました。
東京新聞は17日社説「死刑執行の通知 人間らしい最期の時を」(略)で「当日の通知では執行までに残された時間は限られる」「国際的には非人道的な扱いとみなされる。この運用は見直されるべきだ」と指摘したところ、読者から「次は『人間はどういう存在なのか。人間とは何か』ということを真正面から取り上げる社説が読みたい」との要望をいただいたのです。(略)
「人間とは何か」を真正面から取り上げるにはまだ年月がかかりそうです。その日まで、読者の皆さんとともに考え続けたいと思っています。 (と)>
末尾の「(と)」というのは、この社説の記者名だろう。前者17日付社説は読者のなかに大きな反響を呼び、さまざまな読後感が投書の形で寄せられたのだろうと思う。でもここに紹介された<要望>を投書した読者さんと、それをことさら後日の社説で取り上げた「と」さんとに対して、ちょっと違わないかいと問いたくなる。<死刑執行の通知はどんなタイミングがいいか>という問題提起に直接反応する感想としてなら<執行直前でよい>とか、<執行までなるべく多くの日にちを>とかの投書になるはずだし、より内省的な反響としてなら<やはり死刑は廃止を>とか<いや存続だ>とかの意見が寄せられるはずだろう。また、死刑制度は大まかに言えば、凶悪殺人犯に対して適用される刑罰として存置されているので、読者からのより<重い問い掛け>としてなら、<死刑とは何か>あるいは<人を殺したり、(刑罰として)仕返しに殺したり>とはどういうことか、という問題などを<真正面から取り上げる社説が読みたいとの要望>になって寄せられるはずではないのか。もちろん、そういった内容の投書も多く届いたのではあろうが、ここで社説子「と」さんはそれらをすべてスルーして、<「人間とは何か」を真正面から取り上げる社説を読みたい>との読者のかなり極端な<要望>に最優先で応える決意表明をして筆を擱いてしまっている。何かはぐらかされた感じがしてならないのだ……。
ちなみに、上の17日付社説に対しての私の素朴な読後感を言えば、それはまず、<死刑制度をどうすべきか>という問題の形であれこれと脳裏をかすめたのちに、いったい<人を殺すとはどういうことか>、という問題に収れんしていった。そこでここから少し、この<人を殺すとは……>という難題に思いを馳せてみたい。
1997年2~5月に、神戸の中学生<酒鬼薔薇聖人>による連続児童殺傷事件が起こって、世間に大きな衝撃を与えたが、その余韻もまだ収まらない2004年6月に、今度は佐世保で小学6年生女子児童による同級生殺人事件が起こり再び世間を震え上がらせたのはまだ私たちの記憶に残っている。そしてその頃読んだ新聞記事に、青森県で開かれたいわゆる全国教研集会で、どこかの高校教師が自分の日常活動を報告するなかに、生徒から「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と聞かれて返答に窮したという話しが載っていたのも忘れられない。
余談になるが、この先生、せっかく青森に行ったのだから、ついでに八戸まで足を延ばして<寺山修司記念館>を訪れてみればよかったのにと残念に思う。それは八戸郊外の閑静な<市民の森公園>のなかに建っている。その外壁にピエロの顔が浮き彫りされたちょっと風変わりな建物の玄関を入ると、エントランスホールの奥に大型のビデオスクリーンが据えてあり、画面には女性アナウンサーの矢継ぎ早の質問に次々と返答する寺山の顔がある。その質問のなかに「あなたは人を殺したいと思いますか?」というのがあった。それに対して寺山は、にやりと笑みを浮かべ、「みんな毎日人殺ししながら生きているじゃないですか」と即答している。このひと言は「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と尋ねる生徒への模範回答として、上記の高校教師にとっては何よりおあつらえ向きの言葉だったのではないだろうか。
そういえば、太宰治のある小説のなかに、三鷹の駅前あたりで、戦地に赴く召集兵を軍歌放吟で見送る住人たちの提灯行列に冷ややかな視線を送る主人公が、「でもこうしてみんな生きているんだから、どこか自分をごまかしているに違いない」と歎ずる描写があったのを思い出す。寺山にしろ、太宰にしろ、青森の作家ふたりが同じように、日常的に<生きる>ことのなかに<人を殺しながら><ごまかしている>という、いわばネガティブなイメージを抱懐していることは興味深い。霊場恐山があり、イタコの口寄せという彼岸との交通手段を持つ青森の風土には、<生>は常に<死>との往還のなかに溶け込んでいとなまれているのであり、青森以外のよその地の<生>はどれも<死>とは分断されてしまっていて、まやかし、まがいものにしか見えないという精神性があるのかもしれない。
しかしこの難題に、もう少し別な方面からも分け入ってみよう。むかし学生の頃、私は文芸評論家・秋山駿の授業に出ていたことがある。あるとき、秋山さんが学生たちにこう言った、「<俺は死にたくない。お前も死にたくないだろう。だから俺はお前を殺さない>というのはあまりに日本人的な理屈で、この理屈は欧米人には通じないと思う。<なぜ人を殺してはいけないのか>という疑問に答えるときは、彼らはまったく違う論理、欧米人の論理を組み立てるはずだ。じゃあどんな論理なのか、それは俺には解からない」と……。<欧米人はどんな論理でこの難問に答えるのか?> このときからこの秋山さんの問題提起は私の脳裏に重くのしかかり、<なぜ人を殺してはいけないのか>という難題とつねにセットになって私の精神生活をときどき足止めさせるようになっている。
いったい欧米人にとっての<殺さない>論理とはどんなものか? 聖書の<汝殺すなかれ>への回帰か? 近代の人道主義的<生存権>あるいは<博愛>の援用か? ここでもう一歩脱線してみよう。
小説『異邦人』(カミュ)の主人公ムルソーは、アルジェ郊外の海水浴場で、小さなイザコザからナイフを振りかざしてくるアラブ人をピストルで射殺した。のちに裁判長から「動機は何だったのか」と問われ、「太陽のせいだ」と答える。
また、『罪と罰』(ドストエフスキー)では、主人公ラスコーリニコフは裁判長から同じく「なぜ金貸しの老婆とその妹を殺したのか」と問われ、「その原因は(自分の)赤貧であり、頼りない境遇だ」と答える。
秋葉原連続通り魔事件(2008年)の犯人、加藤智大は「死刑になりたくてやった。誰でもよかった」、2022年に安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也は「(安倍は)統一教会と深い関係があるからやった」などと犯行の意図を吐露している。とにかく、その犯人によって表現された<殺し>の理由はどれもそれぞれ個性的なものばかりだ。<殺す理由>は事件の数だけ、犯人の数だけ存在するのかもしれない。では、<殺してはいけない理由>についてはどうだろうか? ちなみに、「生」という漢字の読み方は、「セイ」「ショウ「ナマ」「キ」など、古今東西に200種類ほどもあるという。しかし、「死」の読みは「シ」のたったひとつだけ。それと関係がよく似ているが、<殺す理由>がバラエティー豊富なのに対して、<殺してはいけない理由>のほうは、たぶん極端に少なくて誰もが見つけるのに難儀している。どこにもひとつも存在しないかもしれないし、あるいはどこかにひとつしか存在しないのかもしれない。だから青森教研集会の高校教師が生徒に問われて返答に窮してしまったのも頷けないではないのだ。
ただ私には、その答えを見つけるためのヒントは確かに存在すると思えるのだ。私の場合しいて言えば、そのヒントは先ほど挙げた小説『罪と罰』のエピローグにあるこんな描写のなかに仄見える気がする。それは、シベリアへ監獄送りになったラスコーリニコフが病気になって監獄病院に入院したとき、彼の後に随いてシベリアまで行って、その地でひとり暮らしを始めた恋人のソーニャが、毎日監獄病院の病室の窓の下に来て、窓のなかを窺うように立ち続けていたというくだりのあとの次の描写である。
「ある日の夕方、もうほとんど全快していたラスコーリニコフは、一寝入りして眼をさますと、何げなく窓に近寄った。と、遥か病院の門のそばに、ソーニャの姿を認めた。彼女はじっと立って、何か待っているような風情であった。この瞬間、なにかが、彼の心臓をぐさと刺したような気がした。彼はびくりと身ぶるいし、いそいで窓のそばを離れた。」(米川正夫訳)
――『罪と罰』のなかで最も美しい描写である。<なぜ人を殺してはいけないか?>その問題を解くカギは、この描写の奥のほうに隠れているように思える。
と、ここまでなにか隔靴掻痒の感のある、とりとめのない独白になってしまったが、最後に私の友人、安藤鳴人君の個人的なことに触れて筆を擱くことにしよう。ある日鳴人君が、今は亡き彼の実父の戦時中の行為について私にぼそりと語ったことがある。彼のおやじさんは日本軍の曹長だったという。そのおやじさんの部隊がある日、海外駐屯地でひとりの現地人(それは日本軍に反抗した住民か、住民を装って反抗する兵士だったかは解からない)を捕縛した。その男は衆人環視のなかで公開処刑されることになった。上官がおやじさんたち兵卒に向かって刑の執行役を志願させたが、誰も手をあげようとしない。そこで、曹長だったおやじさんにお鉢が回ってきたのだという。この出来事は戦後、おやじさんと同郷の復員兵たちの口から田舎じゅうに広まったのだとか。鳴人君は私にこう言ってその話しを終えた。「俺は殺人者の子供なんだよ」