安藤鳴人相談室⑤ 若ハゲで悩んでいます

詩誌「なだぐれあ」第5号(1989年6月発行)所収

安藤鳴人相談室⑤

若ハゲで悩んでいます

【質問】若ハゲで悩んでいる者です。いま38歳になりますが、思えば30の声を聞いたばかりの頃から、額の生え際がみるみる後退してしまい、哀れにもこの若さで毛沢東そっくりのありさまなのです。鏡を覗くのがコワイ、「笑点」で桂歌丸が笑いものにされる場面が不快で日曜日にテレビを視る勇気がない、人混みでハゲを見るとスッと視線をそらしてしまう、という身も細る思いで明け暮れています。先日はスダレ髪の中曽根康弘が≪ハゲ差別防止法案≫なるものを国会に提出し、スピード審議の末、超党派で可決されるというひどい夢をみてしまいました。ガバッと跳ね起きたら、びっしょり寝汗をかいているのです。これはもう地獄としか言いようのない毎日です。
 「なだぐれあ」前号の編集後記を読めば、安藤先生もハゲに悩んでおられるとか。心無いお仲間たちにからかわれ、さぞご心痛の日々をお過ごしのことと拝察つかまつります。そんな先生ならこそ必ずや我が心の内をお酌みいただけるのではと、こうしてお便り差し上げた次第です。この悩みどうぞお晴らしくださるようお願い申し上げます。(若ハゲで悩む男)

【答え】はじめにお断りしておきますが、私べつだんハゲで悩んでなぞおりませんよ。へんな同情はありがた迷惑だし、だいいち「なだぐれあ」のメンバーたちがそんな愚劣な揶揄を飛ばして嬉々とするはずないじゃないですか。
 まあ、それはともかく、あなたの悩みは少し重症のように見受けられますね。紫電改とか不老林とかカロヤンとか常用していると、いわゆる育毛剤依存症に罹ってしまいますから、それだけは気をつけてください。101は漢方ですから、効いていると確信していれば効いていることになるわけですが、東洋医学というのは一種の禅問答と同じで、効いていることは効かないことでもあるわけです。やはり、合理主義者には向いていないと言えるでしょう。
 いずれにしろ、育毛剤依存症とはいうまでもなく現代人の心の病気です。もっとも、育毛剤の塗布を日々の楽しみにしている人も多いとか。それはそれで、盆栽に水をやるのと同じ趣味の範囲ですから、それに対して私の言うべきことは何もございません。
 それにしても、お手紙にある≪ハゲ差別防止法案≫の夢というのがとても気になります。あなたはハゲが病気や身体的欠損のように社会的差別の対象だと考えているわけですか。もしそうであるなら、あなたはとんだ誤解をしておられると言わざるをえません。アリストテレスはこう言っています。「あるいは人間にしても、その肉や脾臓が取り除かれた場合には毀損された(不具である)とは言われないで、ただ或る末梢的な部分の失われたときのみそう言われる、しかもあらゆる任意の末梢的部分ではなくて、それがもし完全に取り除かれたなら二度と生じないような末梢的部分の失われたときである。それゆえに、はげ頭は毀損(不具)ではないのである」(『形而上学』第27条)
 なんだ、脱毛だって<二度と生じない>んだから、この文脈じゃハゲこそ不具そのものじゃないかなどと言っては誤解に誤解を重ねてしまいます。ここがアリストテレスの解かりにくいところなのですが、ようするに髪の毛は少しも人間にとって本質的ではないということです。アリストテレスは自分がハゲだったからこそこう主張するのであって、その点は割り引いて考えるべきかもしれません。ただし、欠損という概念は、いうまでもなく統一性、全体性の神話を前提にしているわけで、ヨーロッパがダメなのはそんな神話がいつまでも蔓延っているからだということもお忘れなく。
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