「月刊軟骨新聞」(2007年12月 3号)所収
明日の新聞
去る11月15日の東京新聞に、評論家加藤典洋氏への短いインタビュー記事が載っている(最終面コラム「顔」)。書き出しはこうだ。
「小6の時、山形・尾花沢の貸本屋で漫画を全部読んだ。白土三平、さいとうたかを、つげ義春などを発見した。その後、少年少女世界文学全集を3ケ月くらいで読破。1日の借り賃が10円で小遣いが10円だった。分厚い全集1冊を1日で読むのは大変だった。僕が一番本を読んだのはこのころだ……」
氏は同じことを数年前にも東京新聞への寄稿エッセイで書いていた。この貸本屋の存在が彼の精神形成のうえでどんなに重要な位置を占めていたかが垣間見える。そして今、私はそのことにある特別な感慨を抱かざるをえない。というのは、この貸本屋は屋号を「書林堂」といって、そこは他ならぬこの私が生まれ、幼少期を過ごした家だったからだ。詳しく語ろう――。
遥か西に霊峰月山を望む尾花沢は、昔はひっそりと静かな田舎町だった。目抜き通りの真ん中に、戦前から続く町一番の老舗和菓子店「松林堂」があって、私の母はそこで生まれ、隣町・大石田の大工、阿部忠雄と結婚してからは母屋の棟続きにあった白壁の土蔵にゴザを敷いて新居にした。私が生まれたのはまさにその場所だったのだ。
和菓子の店のほうは、跡取りの長男(母の兄)が南方で戦死して、戦後は私の祖父母が二人で細々とやっていた。私が物心ついたころ祖父が老衰死すると、祖母は店を閉めた。表通りに面したガラス戸はひねもす白いカーテンでとざされ、店内には外光を失った空のガラスケースが光るのも忘れて打ち沈んでいるだけだった。その頃、幼い私は毎日店の戸を少しだけ開けてかまちに腰かけ、通りを往来する人や牛馬や犬猫たちを飽かず眺めて時を過ごした。
しかし、やがて私もそろそろ小学校かという頃、その小学校の代用教員をしていた母の弟(私の叔父だが、私は彼をタロあんちゃんと呼んでいた)が突然教員を辞め、松林堂の店舗を改装して、当時田舎町には珍しい貸本屋なるものを始めたのだった。古色を帯びた菓子箱が並んでいた店内はある日、明るい色の書棚が三方を占める店に生まれ変わり、その書棚にはびっしりと書物が並んだ。和菓子の老舗「松林堂」はモダンな「書林堂」になって繁盛したのだ。タロあんちゃんの元の教え子たちは毎日マンガを借りに来るし、映画館が1軒、パチンコ屋が2、3軒しかない田舎町で娯楽に飢える大人たちもひっきりなしに読み物を漁りに来た。私も小学校に入り文字が読めるようになると、学校から直帰し、書棚用の踏み台をイスにして店の片隅で毎日マンガを読み漁るようになった。
毎月上旬には「少年」「少年クラブ」「少年画報」「冒険王」「ぼくら」といった月刊少年雑誌が所狭しと平台に並ぶ。それら人気商品に手を触れるのだけは御法度だった。それらは1ケ月ほど指をくわえて待ったあと、次の号が出ると初めて私に払い下げられるのだった。その代わりにタロあんちゃんは、それら新刊雑誌に挟まれてくる豪華付録類――ゼロ戦や戦艦大和の紙の組み立てセットとか少年探偵団手帳とか変装七つ道具とか――だけは全部私にくれた。集団で遊んだり集団登下校したりが大嫌いで、苦々しい目で見る上級生に暴力を振るわれないように人目をはばかる私にとって、貸本屋の世界はまさに楽園そのものだったのだ。
――そんなわけで加藤典洋氏はきっと、毎日あの店内で立ち読みならぬ坐り読みを続けるそんな私の鼻先を、客としてひっきりなしに行き来していたのだ。尾花沢での懐かしい時間の片隅に2歳年上の加藤典洋氏氏が影を落として通り過ぎて行ったと思うと、感慨深いものがある。もちろん大人になってからの彼我の差は、かたやマンガばかり読んでいたか、あるいは「少年少女文学全集を読破」したかどうかの違いからくると思うと、一抹のルサンチマンを感じないでもないが……。
それにしても最近つくづく思うのだが、こと往時の貸本マンガに関してだけ言うと、加藤氏に限らず我々マンガ世代の懐旧の対象が白土、つげ、さいとうたかをらをはじめとしてマンガ史にキラ星の如く輝くメジャーな漫画家たちに絞られ過ぎてはいないだろうか。名著『消えた漫画家』にも取り上げられていない無名の貸本漫画家たちが確かにその昔存在していた。彼らの名前や作品名は、かく言う私だって忘失してしまったきりで、もう一度思い出そうにも手掛かりさえ掴めない。貸本ブームの終焉とともに忘却の彼方に消えてしまった漫画家たち。しかし、漫画家たちは消えてしまったが、あの頃「書林堂」の書棚の中から手に取ったマンガのうちには、今なお断片的に1コマずつ走馬灯のように私の記憶の奥に輝く不思議なマンガも数多くあったのだ。
ここに、そのなかの飛び切り印象的な一作を挙げてみよう。作家名には<内>の字がついたと記憶するが自信はない。だが作品名のほうははっきりと覚えている。それは「明日の新聞」。物語はこうだ――。
主人公は競馬狂の青年。彼はある日、新橋の馬券売り場前の雑踏で、最終レースの外れ券を空高く放り上げて、クサった気分のまま家路につこうとする。するとガード下の薄暗がりのなかで一人の新聞売りが青年に声をかける。「ダンナ、明日起きる出来事が載っている明日の新聞はいらんかね」。青年は「ふざけるな! そんな新聞があるものか」と怒鳴るが、ふと思い直して1部買ってみる。そしてボロアパートに戻り、所在無げに寝転んでその新聞を読んでいた青年の表情がみるみる変わっていく。彼の眼は競馬欄に釘付けになっているのだ。そこには明日予定の全レース結果が、それこそ昨日の出来事であったかのように詳細に記されていたのだ。翌朝競馬場に向かう青年の顔は、いつもの競馬狂の顔ではなかった。馬券を買うというより運命を買いに行くとでもいうべき表情……。
ともあれ青年はその日、全レース新聞の結果通りに賭けて的中させ、最終レースが終わると、大金の詰まったボストンバッグを引っ提げてタクシーに乗り込む。青年は笑いが止まらないといった表情で座席に腰を下ろし、再び「明日の新聞」を開く。「どれどれ、そういえば社会面はまだ見ていなかったな」と、そのとき社会面を開いた青年の顔は驚きと恐怖で引きつる。眼に飛び込んだトップ記事の見出しは「大金を手にした青年、タクシーで衝突死」だった。青年は咄嗟に「運ちゃん、クルマを止めてくれ!」と絶叫する。運転手は怪訝そうに後ろを振り返る。「止めるんだ!」「わかりました」。そう答えて正面に向き直った運転手の視界いっぱいに突如大型トラックの前部車体が立ち塞がっていた――。
いかがだろうか。現在マンガファンの記憶を支配しているメジャーたちでない、忘れられた漫画家たちが今もってこんなにリアルに私の記憶に甦ってくるのだ。かつては、これら無名の漫画家たちも自らの名前でもって私の心を興奮させてくれた日々が確かに存在していた。それがいつしか私の周りにはメジャーにリードされたお仕着せの記憶ばかりが繁茂してしまった。今の私は、時間の底に埋もれたあの漫画家たちをなんとかもう一度手元にたぐり寄せたいと、そして自らが生きた本当の過去をあの懐かしい貸本マンガの数々とともに再び生き直してみたいと切に願っている。暖かくなったら只見の「青虫」を訪れてみよう。まったく、何が「三丁目の夕日」だよ。
ちなみに、この「明日の新聞」の興奮冷めやらぬ小5のある日、私の一家は東京・葛飾に引っ越してゆき、その翌年、貸本ブームも下火になってタロあんちゃんは書林堂をたたんだ。やがて「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」が発刊されてマンガ大量消費時代がやってくる。