詩誌「なだぐれあ」8号(1990年8月発行)所収
タイムカプセル
ぼくは東武伊勢崎線の竹の塚という町に住んでいる。その竹の塚から15分ほど下り電車で行くと、ぼくの実家のある越谷という町がある。越谷はもう埼玉県になる。ぼくが実家を出て竹の塚に移り住んでからはかれこれ10年あまりになるだろうか。
今年の正月、実家に帰っていたときのことだった。テレビを視ながらお屠蘇をチビチビやっていたら、齢老いた母が二階から何かを抱えて降りてきた。
「この間、こんな物が出てきたんだけどね。捨てていいものかどうか、ちょっと見てちょうだい」
実家に行くと、整理好きな母は、ぼくの昔の物をどこかから引っ張り出してきてはよくそういう言い方をする。その日母の差し出したのは、見るからに暮れの大掃除で出てきたらしい、古くなって色あせたカルピスの贈答用詰合せ箱だった。
かすかに見覚えのある気がした。水玉模様のその空き箱の中に、昔たしかに何かを入れて、そのまま実家のどこかに置きっぱなしにしていたはずだというような、過去のひとつが急浮上してくる予感。とは言っても、母の出してくる物はたいてい、「こんな物だまって捨てればいいじゃないか」と思うガラクタばかりなので、その箱もなにげなく開けてみたというのが本当だった。捨てる前のほんの確認というほどの動作。
ところが、その箱には実に思いがけない物が詰まっていた。ぼくは中学生の頃、随分映画館に通ったものだが、その頃観た映画のチラシやパンフレットがいろいろ入っていたのだ。セピア色に変色してしまい、活字がかなり滲んでしまったものもあり、注意しないと折り目がやぶけそうなものも多かった。一枚ずつ、一ページずつ、恐る恐るめくってみる作業は、まるで古文書を扱うインディ・ジョーンズになったみたいな気分だ。
ひととおりその箱の中を調べ終えると、ふと別な箱のことを思い出した。記憶の連鎖は今度は小学生時代の山形の生活へとつながってゆく。山形の片田舎に住んでいた頃、ぼくは裏庭の片隅に植わった一本の桐の根元を掘って、<タイムカプセル>を埋めたことがあったのだ。まだ10歳ぐらいのときだ。「ありあけのハーバー」というブリキの菓子箱に、メンコやらピストルやら祭りで買ったものやら雑誌の付録やら、びっしり詰め込んで土中に埋めたのである。あの箱は30年前の土の中でどうなってしまったのだろうか。冬の根雪に圧しつけられ、夏の豪雨に洗われて、今もあの土中にひっそりと埋まっているのだろうか。
山形のあの家は、ぼくたちが東京に引っ越してきて間もなく「関根」という人の手に渡ったという。その後、庭の一部が市に収用されて大きな道路の下敷きになったという話を聞いた。そのとき、身の一部をもぎ取られてしまった思い出の家は、ぼくの心から永久に
失われてしまった。
今<タイムカプセル>を思い出して、その後あの家がどうなったのかについても、新たな思いが湧いてくるようだ。廃屋になったのか、改築されてモルタル壁、サッシ窓くらいの文化住宅に生まれ変わったのか、関根さんの転居か何かでサラ地にでもされてしまったのか。
昔「緑色した時のなかで」という作品を書き始めたとき、舞台になるその土地を実地に見てきたら、と助言してくれる人もいた。それがいいかもしれない。でも、とその時思った。幼児期の記憶の物語りに実地踏査はいらない。現実が記憶のまとまりを破壊する恐れもある。結局、その時があの土地を訪れる最後のチャンスだったのだろうが……。
ブリキ箱のタイムカプセルがその後どうなったか、もうぼくは永久に知ることはできないだろう。道路建設のために収用された庭の部分は、箱を埋めた桐の場所ではない可能性もある。また関根さんという人がその後、あの家をどう扱ったにしろ、桐の木だけは手つかずのまま残されている可能性もある。だとしたら、30年の星霜にひっそりと耐えたぼくのタイムカプセルは、今この時間も静かに眠り続けていることになるのだ。これはほとんど童話的な戦慄さえ覚えさせてくれる事態ではないだろうか。
最初のカルピスの箱の話に戻ろう。この正月に実家で見つかった箱も、ぼくが実家に置き忘れてきたもうひとつの<タイムカプセル>にほかならなかった。ここで中身の一覧を目録風に並べてみると……。
①映画パンフレット→「史上最大の作戦」「大脱走」「家族日誌」「黒いチューリップ」「第十七捕虜収容所」「日活映画」(1963年10月号)「戦争と平和」
②映画のチラシ→「サウンド・オブ・ミュージック」「東京オリンピック」「ベン・ハー」「ラスベガス万歳」「アラビアのロレンス」「アカプルコの海」「パームスプリングスの週末」「わんぱく旋風」「ウエストサイド物語」「シャレード」「チコと鮫」「青きドナウ」
ほとんど毎週土、日になると、映画館通いばかりしていたのだ。当時は葛飾区に住んでいたので、通いつめた映画館は立石ミリオン座、上野スター座、亀有オデオン座、千住ミリオン座などという三流館ばかり。もちろん今現在経営が続いているかどうかなど分からない。それらの映画館名が印刷されたチラシをみると、地元商店街の広告など、時代の色がとりわけよく出ていて笑ってしまう。
一緒に出かけるのは、2年のとき同級生になった吉田進クン、小野弘之クンという人だった。彼らと連れだってあちこちの映画館へ朝から籠りきりになって、二本立て、三本立てのロードショー流れを片っ端から見まくったわけだ。
今から思えば、われわれ3人は随分ヘンな取り合わせだった。高校受験前、それぞれの映画熱がパッと醒めると、3人ともバラバラな道を進んだ。吉田クンは某国立大学を出てから法曹界に進んだという。小野クンは中学卒業後、父親の廃品回収業を手伝っていたようだ。その後の彼らのことは何も知らない。
箱の中身のうち、チラシはどの映画館でもモギリのおばさんが無料で手渡してくれたものだが、パンフレットのほうは一部150円くらいで買ったものばかりだ。今なら1,500円くらいだろうか。近ごろ映画館などに足を運ぶ機会もないので、そういったものの価格のことは分からない。
先日、その方面の<通>を自認する若い人に聞いてみたら、当時の「史上最大の作戦」や「大脱走」など人気映画のパンフなら、プレミアムがついてン万円ぐらいにはなるだろうとか。べつだんぼくは、プレミアムのことなど考えてあのカルピスの箱の中に映画パンフ類を詰め込んだわけではない。遠い将来、何かの役に立つと予想してそうしたのでもない。ひたすら映画が好きだという思いが、大切なものの保存という自然な行為を択ばせてくれたのだろう。
下町の中学生の小遣いで毎週土、日に映画を観、映画館でパンと牛乳の食事をし、さらにそのうえ映画のパンフを買って帰るというのは、割合苦しいものもあった。吉田進クンや小野クンが買うときは、回し読みさせてもらったりしたので、観た本数の割合いには保存パンフの数が少ないといえば少ないのだが、またそれだけにこの箱の中に収めたパンフはどれをとっても思い出深いものばかりなのである。タイムカプセルは今、ぼくにとっての宝石箱になった。