詩誌「なだぐれあ」5号(1989年6月発行)所収(連載「アベノーマル日録」より)
青梅マラソン歓走記
◆青梅マラソンとは何か
「円谷選手と走ろう」のキャッチフレーズで昭和42年に始まった青梅報知マラソン。東京オリンピックの英雄円谷幸吉も、昭和41年椎間板ヘルニア、42年アキレス腱断裂と故障続き。43年1月、「もうこれ以上走れません。父上様、お萩おいしゅうございました」の遺書を残して26歳の命を自ら絶ってしまった。そして、昭和42年の第1回青梅マラソンが彼のラストランになってしまったのだった。
ヤングジャンプ誌連載中の「栄光なき天才たち」が円谷幸吉をとりあげて、あの肘を高く上げた、独特のランキングフォームを僕たちに懐かしく思い浮かべさせてくれたのは、つい去年のことだった。しかし、東京オリンピックを知っている世代には、あの劇画に描かれた円谷の像ほどウソっぽく見えたものもなかっただろう。<いつも誰かが自分を追いかけてくる>という強迫観念を抱いて走り続けたという、あまりに現代的な(?)浪花節的構成は円谷という伝説のヒーローに失礼千万である。東京オリンピック直後の「スター千一夜」にアベベと一緒に出演したときの円谷の晴れ晴れとした笑顔を君は今でも憶えているか。あのとき、おそらく彼は<メキシコ>も走りたいなどとはつゆほど考えていなかったのだ。
そんな彼をもう一度メキシコのスタートラインにつかせようとしたのは当時の日本国民のアンコールの声であり、その圧倒的な声の力を借りて既製品の再登場で間に合わせようと横着を決め込んだ日本陸連というヒエラルキーの怪物なのだ。
日本陸連の反動性、非人間性、親方体質は20年後の現在もまったく変わっていないようだ。日夜、陸連を相手に戦う中山竹通の孤軍奮闘ぶりだけがわずかに円谷の衣鉢を継ぐものだといえるだろう。瀬古のわがままより中山のグチのほうが、僕は好きだ。ともあれ、あの円谷が走った道を僕も走る……。
◆コースの説明
JR青梅線の河辺駅から川井駅までの間には、計九つの駅がある。その各駅に沿って青梅街道がくねくねと延びている。スタートして最初の1、2キロほどは青梅の市街を縫って走る。ギャラリーも多い。それからは折返し点まで、左手に多摩川の美しい渓谷美が展がってくる。折返し点は川井駅の先にある水香園という料亭の手前だ。コースは全体にアップダウンの多い、市民マラソンにしては難コースといえる。20キロ過ぎに2キロほどの長い登り坂があって、ここをどう走り抜けるかで後半の戦いが大きく左右されてしまう。僕はスキー選手がポールのイメージを何度も何度も瞼の裏に思い描くように、かなり綿密な作戦を組み立てていた。
◆第23回青梅マラソン実況中継
2月19日午前11時半、気温摂氏14度、湿度40%、無風、快晴。マラソンのコンディションとしては少し暑いぐらいだ。更衣室の青梅市総合体育館のなかはサロメチールの臭いが充満して、目もあけていられない。むかし催涙弾の煙が消えた後の学生街を歩いたときのようにじいんと涙がにじんでくる。ゼッケン交付所で全員にメーカーがサロメチールを配ったせいなのだ。僕も着替え時に両脚にまんべんなく塗っておいたけれども……。
どうかとも思ったが、厚手のトレーナーにアンダータイツという格好で走ることにした。周りで着替えているランナー達は「暑くなりそうだ」「今日はランニング一枚でいいな」などと口々に言い交しているが、それは<青梅>を知らない人のセリフというものだ。ぼくは先日、下見がてらにコースを一度走ってみた。山の中にある折返し点は、青梅市内よりも2,3度気温が低い。日蔭は今日もかなり肌寒いだろうと読んだ。まず間違いない。
やがて外のほうから「ランナーの皆さんはスタートラインに集合してください」と繰り返すスピーカーの声が、体育館の奥にも聞こえてきた。スタートラインに就く前にトイレに行っておこうとしたら、廊下のほうまでラッシュなみの行列ができていた。30分ぐらいは待たないと番がこないだろう。いちめんモワッとものすごいウンコの臭い! サロメチールとウンコの臭いだ。眼の前が真っ暗になった。スタート時刻に遅れてしまうではないか。
ところがある僥倖がぼくに味方してくれた。身障者用のトイレが青梅市立体育館には1つだけ設置されていたのである。廊下から少し奥まって、死角になっている。日常利用する身障者でなければちょっと解らないような所にあって、おまけにIDカード式のドアだ。カードを挿入し、ボタンで操作しないと開かない仕組みになっている。しかし、ドアの隙間にむりやり爪をこじ入れてなんとか開けることができた。これが使えなかったら、走っている途中、どこかの草叢で用を足していなければならなかった。今思うとそれこそゾッとする。
スタートは中段の位置だった。人波がとにかく多すぎる。前も後ろも人、人、人の波。イモを洗うという言葉。なにしろ1万2,000人だ。やがて「先頭がスタートラインを越えて、まもなく3分経過しました」という声がスピーカーから流れてきた。周囲がドッとどよめく。走り出してはみたものの、自分がスタートラインをもう越えることができたのかどうか、誰にもよく解らない。
マラソンランナーには、若いのに老けた顔が多いという。これはマラソンというスポーツが筋肉組織の内部に乳酸を蓄積させやすくて、それが皮膚細胞の老化を速めるからだと主張するスポーツ医学書を読んだことがあるが、いずれにしろマラソンをストイックなスポーツだと思い込んでいるのが老けやすくするいちばんの原因なのではないか。さっぱり楽しくなかった中学高校の体育教育の弊害もあるだろう。実際はマラソンほど楽しいスポーツはないのである。なにしろ走ることはすべてのスポーツの基本だし、人間の原始本能の根幹であるとさえいえるのである。
いわゆる健康ブームのなかでマラソン人口がこのところ急に増えつつあるが、本当のマラソンの楽しさとは勝負のスリルを味わうことにあると解っているランナーがどれほどいるだろうか。勝負のアヤ、スパートの駆引き、心理的な洞察。それを満喫できなければどうしようもない。どんなスポーツも健康のためにやるのでも、自己鍛錬のためにやるのでもない。そういう目的意識こそいちばん不健康である。長生きが最大の目的なら、スポーツなどしないほうがいい。ムリムラムダのない生活の窮屈さから逃れようなどと考えないほうがいい。円谷も依田郁子もアベベ・ビキラも符丁を合わせるように早死にしてしまった……。
上空には3機のヘリが旋回を続けている。たぶん、NHKと朝日新聞とテレビ朝日のだ。東京オリンピックのとき、独走態勢に入ったアベベがしきりにヘリの爆音を気にして、蠅でも払うようなしぐさを繰り返していたのを思い出す。
青梅市商店街のあちこちにセットされたスピーカーからは、松村和子の「帰ってこいよ」がガンガンと流れ、ギャラリーたちの人垣のどこかからも「ちゃんと帰ってこいよ!」という冷やかしが起こって周囲の爆笑を誘っていた……。
話は変わるが、このたびの青梅の場合、いわゆるランナーズハイという状態は、御嶽駅を過ぎたあたりからやってきた。10キロ地点を通過したばかりの頃だ。御嶽駅前にある何とかいう有名な茶店の店先で、これも何とかいう有名な連太鼓をハッピ姿の若者たちがえんえんと打ち続けている。その傍を走り抜けると、ふと全身の重さが揮発していって、自分が意識だけの存在になったように感じる瞬間がやってきたのだ。ハッと気付き、軽快な太鼓のリズムに乗せられまいと気を引き締める。
ランナーズハイとは、肺機能のリズムと心機能のリズムとが一時的に幸福なハーモニーを奏で始め、そのウキウキ気分が自我の急激な膨張を引き起こす、一種透明感にあふれた覚醒状態。そんなハイのまま無自覚に走り続けたら、必ず身体が爆発してしまう。ひところジョギング中に倒れる人が多かったが、ハイな状態をどう切り抜けるかは命にもかかわるのだ。ぼくは必死で自分を制御した。「まだよ、まだまだ」差し脚の鋭い追い込み馬に跨るジョッキーのように、そう自分に言い聞かせる瞬間、背筋を武者ぶるいが走る。ゴール前でのトップスピードを夢見てゾクッとするのだ。マラソンの醍醐味はつとにここにある。ランナーズハイの自覚とその制御とラストスパートの夢とが一瞬のうちに体のなかを駆け抜けてゆく、その一点。これがたまらないのだ。
やがて折返し点を過ぎたあたりから、沿道のボランティアたち(付近の住民たち)が、ランナーに水や果物の輪切りや飴玉や菓子などを差し出してくれる。20キロ過ぎあたりで少しヨレ始めたかなと思っている頃、ひとりの美しい女高生が「頑張ってくださああい」と声をかけてくれた。眼と眼が合った。ひたむきに走るぼくの姿に感動を憶えた(?)その深い瞳は、こころなしか潤んでいるようだった。しかし、その可憐な姿を振り切るように、孤独なランナーはひたすら疾駆するしかない。
5キロごとに給水所が設置されている。テレビのマラソンでよく見るように、給水所の水を鷲掴みにして走りながら喉をうるおし、コップを放り投げて走り去るなんていうのは一流選手だけに許された特権でしかない。青梅のすべての給水所には<空コップはこのなかへ>と書いた立て札が立っていてその下にポリバケツが置いてある。係員も大勢見ているので一流選手の真似はどうしてもできない。いちいち立ち止まって水を飲むたびに、もう一度走り出すのが嫌になってしまう。
20キロも過ぎると、もう次の給水所だけが楽しみで走っているようなものだ。時折、沿道に建つ農家の庭先で、ビールを呑みながらレース観戦している不逞のオッサンたち。「オメエ、もう走るのいいから、こっちで一杯やれ!」連中、赤い顔してドッと笑いこける……。
早春の青梅路は和らかな光に溢れ、奥多摩の稜線が光と風に靡いて流れてゆく。コースのはるか真下には、深く抉られた渓流。ぼくたちの激闘をまったく知らぬげに繊毛の震えの漣をたたえ続ける。薫風が梅の香を運び、激闘が人情を呼ぶ。走っても走ってもまだ、ゴールの横断幕は視界に入ってこない……。