2012年9月29日、南仏エクサンプロヴァンス郊外のサントヴィクトワール山、水彩

<日記から>朝、エクサンプロヴァンス国鉄駅前のHerzでレンタカーを借り、一路郊外の山中へ。6日間投宿したホテルの主人は連日スケッチブックを携えて外出するこの日本人に、なにくれとなく世話をやいてくれた。その日も、「ムッシュ、サントヴィクトワールを描くならここがいちばんだ」と、フロントに常備してある観光マップに太いバッテンを付けて教えてくれたのだった。
やがてクルマは通称「セザンヌの道」という勾配のきつい坂を駆け上り、いよいよそのバッテンポイントが間近になると、突然フロントガラス越しにこの絵の風景が眼前に大きく広がって私を釘付けにした。軽い脳震盪のような眩暈と興奮。一心不乱に画紙に絵筆を運び続けた。足元の畑を小さなカタツムリがびっしりと埋め尽くし、ゆっくりと貝殻を動かしながら光の乱舞に興じている。カッコウの声(フランスのカッコウは「カッコーカッコー」でなく、「ボンジュルボンジュル」と啼く)以外、人の姿も見えない。天気にも恵まれ、幸福な朝だった。昼前に下山し、連日通ったカフェで南仏の地酒パスティスとスパゲティのランチ。すると、昼頃から急に降り出し、午後はオラージュ(嵐)になった。
余談だが、セザンヌは若い人から「日本の浮世絵をどう思いますか」と訊かれて、「あんなものは絵じゃない」と答えたという。しかし、これをもってセザンヌがジャポニズムに批判的だったと考えてはいけない。彼は生涯にわたりサントヴィクトワール山の絵をたくさん描いているが、私の想像するところ、彼におけるこの山の存在は、日本の浮世絵師たちにおける富士山と同じものだったろうと思える。つまり、当時フランスへ渡ったおびただしい数の浮世絵を見たセザンヌは、そこにさまざまな形で描かれた富士山への憧れをサントヴィクトワール山で代償したのだろうと思うのだ。