不忍池

2006年8月1日、東京、不忍池、水彩とぺんてるクレヨン

  10~12歳の頃は葛飾区お花茶屋に住んでいた。京成お花茶屋の駅前には詩人・吉本隆明のお兄さんの開く八百屋があって、隆明が店の手伝いをしている姿を見かけたことがある。胡麻塩頭を七三分けにして白ワイシャツにグレーのスラックス、足には黒いゴム長という、いわばゴム長を履いたサラリーマンという風情の、八百屋のアンちゃんにしては特異ないで立ちとその穏やかな物腰は、子供の眼にも一種強烈なインパクトを残したのだ。
 それは余談だが、その頃は毎週日曜日になると、不良の同級生荒木君と連れ立ってよく上野に遊びに出かけたものだった。今と違って朝から酔漢と浮浪者がたむろし、その人ごみの間をヤク中がラリッて歩く殺伐としたアメ横を歩き回り、松坂屋8階の日本食堂で福神漬けを添えただけのライス(30円)にソースを掛けて昼食を済ませ、その後は夕方まで池之端で大道芸人たちのパフォーマンスを見物して過ごすのがいつもの動線だった。そのなかでも大好きだったガマの油売り。「さあさ、この線からなかに入っちゃいけないよ。子供は前に座って、大人は後ろに立って見ておくれ…」とだみ声の口上が始まるといつもドキドキワクワクしたものだが、それがいつの頃からか公園で彼らの姿を見ることはすっかり無くなってしまった。
 ちなみに、絵の中の観音堂の杜の向こうに威容を誇る左側のビルは、今は無き日本進出第一号のフランス系ホテル「ソフィテル東京」である。このビルもいつのまにかこの風景の中から消えてしまった。そういえば、このあとカルフール幕張、カルロス・ゴーンと引き続いて、フランス系の花の命はガマの油売りのように儚かった。池之端の佇まいは何よりもよく世の無常を教えてくれる。ただひとつ池の水面にひしめく蓮の葉叢だけが、あたかも常世からの使者のようにいつも青々と風にそよいでいるばかりだ。