桜中学3年B組と青葉中学3年G組

 シナリオ作家、小山内美江子さんが先日(5月2日)にご逝去されたという。享年94歳。テレビ番組のほうはあまり観ることはなかったが、小説『3年B組金八先生』(高文研)シリーズのほうは第1巻『15歳の愛』から第15巻『壊れた学級』まで飛び飛びにだが、面白く読んだものだった。物語の舞台になっている東京・荒川区立桜中学は、私の母校・葛飾区立青葉中学から京成線の駅で2駅しか離れていない下町の一画にあるという設定なので、私には時代的隔たりを超えて共感するところの多い物語だった。桜中学も教室の荒れ方が大きなテーマになっているが、わが青葉中学も荒れ方という点では桜中学に負けていなかった。もっとも、この青葉中学が東京でも群を抜いて荒れていると世間に悪名を轟かせるようになったのは、私たちが卒業して10年ほども経ってからのことだ。さしずめ私たちの世代はその地ならしをして貢献した(?)というところか。
 その青葉中学で、私が2年生だったある日、クラスに25人いた女子生徒のうち15人ほどが一斉に欠席したことがあった。朝、出欠をとりに来た担任が、学級委員だった私に「おい阿部、なんでこんなに休んでいるんだ?」と訊くので、「みんな武道館にビートルズ見に行ったんだよ」と返事したら、「なるほど」と頷いて、その日は何事もなく終わった。
 ところが翌日、ビートルズ公演に行った15人は全員1時間めに職員室に呼び出されてこってり絞られて戻ってきた。そしてその日の昼休み、クラスのスケバンから「阿部クン、ちょっと顔貸して」と、今度はこちらが体育館裏の植え込みの葉陰に呼び出されて午後の始業ベルまで例の15人から吊るし上げを食らう羽目になった。これはまあ、陰惨に荒れていたというより、淡く楽しい思い出ではあるが、なにしろこの出来事のせいで、私は今に至るまでビートルズがあまり好きにはなれない……。
 ところで、本当に荒れていた例といえば、こんな話しもあった。ある日、私たちがチャボと綽名していた教務主任の先生が授業しに教室ににやってきて、まだ怒りが収まらないといった表情で「いま○○新聞の新聞記者が取材に来てなあ。うちの生徒がひとり警察沙汰になっているが、話しを聞かせてもらえないか、と言うんだ。そいつよく来るヤツだが、他の新聞記者もやってくる。あいつらを追い返すのは俺の仕事なんだよ」とこぼす。ついで、「あいつらの狙いは見え見えなんだ。いつもカネを包んでやるとすぐ帰っていく。ああいうのを新聞ゴロというんだ。お前ら、大人になったらぜったい新聞記者なんかになるんじゃねえぞ」とぼやく。眼の前の不良生徒たちを諫めるのでなく、そんな不良新聞記者への腹立ちをぶちまけて気晴らしをしていたのだ。
 さて、金八先生の3年B組だが、クラスを構成するどの登場人物たちも、むかしの私の同級生たちと同じように、みんな荒れているガキばかりで、まるで他人のような気がしない。しいて違いを挙げるとすれば、私たちはみんな貧乏だったが、3年B組の連中はそこそこモノに不自由していないということぐらいか。小説『3年B組金八先生』を読んでいるといつも私自身、「そうそう、こんなヤツいたなあ」と、むかしの同級生たちのひとりひとりの顔が浮かんできて、いろいろな思い出に浸るという贅沢なひとときを味わうことができるのだった。
 ただひとつだけ言うと、東京の下町で中学生時代を過ごした者の眼から見たとき、この金八先生シリーズには、プロット設定上どうしても物足りないところがある。それはほかでもない、クラスメートのなかに、ひとりも在日コリアンや創価学会員の子弟が出てこないことだ。私の接した全15シリーズのなかでは、家族や地域の問題、交友関係、学内のこと、思春期の心身の問題、進路の問題等々、東京の下町の中学生たちが抱えるビビッドな苦悩がどれも真摯に取り組まれていて、リアルな面白さを味わうことができる。しかしたとえば、私の青葉中学の各クラスには当時、50人の生徒がいたが、どのクラスにも最低5人くらいは在日の子たちが通っていた。彼ら彼女たちの多くは荒れてはいなかったし、むしろみんなとはしゃぎあう朗らかな子たちが多かった。しかしそんな同級生たちと、家に遊びに行くほどの仲にはけっしてならなかったし、彼ら彼女はたちのなかにはどうしても置かれた状況にあらがえず、グレていく子、少年院に入る子も少なからず存在してはいたのだ。私の周りの在日の子たちは、誰もが日本人の姓名を使っていた。彼ら彼女たちと机を並べているうちは、その子たちが在日だとは気づかなかった。はっきり在日だと分かったのは、みんな卒業して高校に進んだあと、通学路などで、朝鮮高校の制服に身を包んだ馴染みの顔にばったり出会ったときだった。そのとき、私たちはどちらからともなく、互いに距離を取り合うように目も合わせず言葉をかけることもなくすれ違うようになってしまうのだった。それはほかならない、差別意識の萌芽だったのかもしれない……。
 また、創価学会の問題。――当時の下町はみんな貧しく、奇妙なことに貧しい家庭の人ほど、学会の活動に熱心に入れ込むという場面を私たちは多く見てきて、私の父親などはご近所の学会員が折伏(しゃくぶく)でなく、町内会の用事か何かでわが家にやって来ただけでも、気まずそうに帰ったそのあとから、「あんなことやめてマメに仕事すればいいのに」と、腹を立てて呟くのだった。もちろん強引な折伏のせいで、近所同士のトラブルになるケースも少なからずあったし、私の母などいろいろなトラブルを井戸端会議で聞き込んできて夕食時に父に報告しては、その心にくすぶる燎のような腹立ちを掻き立てさせては悦に入るのだった。
 わが青葉中学では、学年全体では創価学会の家庭の子供たちは二十数人ほどだったが、3年生の全7クラス中、その子供たち全員が私のいたG組に十把ひとからげに寄せ集められ押し込められて、さながら家畜小屋の観を呈していた。クラス編成上そんな乱暴な扱いをされた彼ら彼女たちの保護者やG組内の他の非学会員家庭の保護者たちが学校にクレームをつけていたかいなかったかについてはわからない。しかし家畜小屋のなかで、その子たちが徐々に情緒不安定になっていくのは私の眼にもはっきりと見えてくるのだった。
 ちなみに、私と一緒にG組の学級委員を務めていた染谷文子ちゃんの家庭は学校出入りの謄写活版屋だったが、文子ちゃんの妹が幼い頃小児麻痺(ポリオ)に罹り、両親がご苦労されて家族ぐるみで創価学会に入信したという話しは文子ちゃん自身から聞いていた。ある日の放課後、文子ちゃんと学級委員同士の話し合いをしているとき、いつもは快活な彼女がふとクラスの愚痴をこぼしたことがあっので、彼女にほのかな思いを抱いていた私はそのとき彼女を元気づけるべく、日活のアクションスターを気取って「キミには俺がついているぜ」と決めぜりふを吐いたのだが、彼女は急にいつもの明るい笑顔に立ち戻って「ううん、アタシについているのは御本尊様だもん」ときっぱり……。
 ことほどさように、金八先生の3年B組に欠けているのは、そうした在日中学生たちや創価学会員の子弟などと机を並べていた私たちの教室、複雑な社会構造がさりげなくちりばめられた現実のなまなましいクラス風景なのだ。作家・小山内美江子さんもたぶん、それらの問題は物語の中に取り込まないと東京の下町に生きる中学生たちの本当の生活を活写したことにはならないと分かっていたはずだし、あれこれご苦心はされたことだと思う。それらのテーマについて、関係諸団体の注目の中で、現実に生きる在日中学生たちや創価学会員家庭の子弟に取材し、資料を収集し、ストーリーを組み立てて等々するのには、難題が大きな岩のように行く手に立ちふさがってびくともしなかった、1行たりと書けなかったというのが実際の裏事情だったのではないか。そのうえわざわざドキュメンタリー風に難しいテーマを持ち込めば、視聴率38パーセントを記録したTBSドラマのほうが見向きもされなくなることが容易に看破されたという事情もあったのだろう。ご無念のほどは推し量られるし、こちらもそれが残念でならない。合掌。