1999年のことだった。東芝の家電製品を買った一消費者が、購入直後にその製品の不具合を見つけ、販売店に修理を依頼したところ、その販売店から東芝の子会社へ、さらに東芝本社へとこの事案をたらい回しにされた挙げ句、ユーザートラブル担当の東芝社員から「あんたみたいなのをクレーマーというんだ」と罵られてプッツン。このユーザーは匿名掲示板<2ちゃんねる>を舞台に東芝の対応を攻撃し始めた。するとそれに対しての反響が凄まじく、果てはウェブサイト上だけでなく既存マスコミをも巻き込んでの大騒動へ、という<東芝クレーマー事件>なる出来事があった。そして当時、<ニュース23>というテレビ番組がこの問題を扱ったさいに、キャスターの筑紫哲也は「インターネットへの書き込みは便所の落書きみたいなものだ」と、ウェブユーザーに対する挑発を口にしたがために今度はその筑紫がウェブ上で批判にさらされるという場外乱闘へと発展したのだった。筑紫が「便所の落書き」と喩えたのは、その匿名性と品の無さを類似性としてとらえたからだろうが……。
早いもので、あれから既に四半世紀。「インターネットへの書き込み」は匿名掲示板からアカウントを必須とするSNS全盛の時代へと様変わりしたが、品の良いもの悪いものが並存するところは昔と変わらず、いやむしろ心無い他人のひと言が人の命を奪うという事態さえ惹起するようになったことなどは、品の悪さも限度を越えたと言わざるをえまい。
ただあのときの筑紫哲也による「便所の落書きみたいなものだ」という喩えの、「便所の落書き」イコール「下品なもの」という決めつけに対しては、私はずっと違和感を感じていた。「便所の落書き」はそんなふうに十把一からげに唾棄されるべきものではないと思うのだ。近ごろどこで公衆トイレに入っても、ブース内の落書きに遭遇することは絶えてなくなった。むかしのようなペーパーなし、清掃なし、故障あり、といった管理不行き届きの物件には滅多にお目にかかれない。駅のトイレに入ろうとしたら、<清掃中>の立て札に阻止されて目を白黒させることは日常茶飯事だ。マスコミはあえて取り上げないが、外国人観光客が見た日本の公衆トイレの清潔感たるや、ただただ驚異でしかないはずだ。
しかし現代日本にはびこるそうしたトイレ潔癖症が、かつてほっと心を和ませていた一切の落書きを消し去ってしまったのも現実なのである。私が学生だった50年前には、早稲田大学の文学部キャンパスにはまだ2階建てのオンボロ木造校舎が現役で頑張っていて、もちろんそこのトイレにも私たちは随分とお世話になった。そしてその各ブースのベニヤ壁には学生たちの落書きが書き並べられて私たちの目を楽しませてくれたのを今でもよく思い出す。校庭のタテカンみたいな思想的断片の書きつけが多かったが、ある日、「おおカミよ! 我を見捨てたまいしか」と走り書きした1行を紙の尽きたペーパーホルダーのそばに発見したときには微苦笑を禁じえなかった。
またある日は、「Ich funbalt das Unko.」というドイツ語ふうの横文字が大書きされていて、これにも大笑いしたことがある。私はすかさずここでの動詞funbalt(フンバルト)を見せ消ちに消して、主語Ich の語尾変化に合うようにfunbatte(フンバッテ)に換えてやった。トイレの落書きの共同作業など後にも先にもこのときだけだが、なぜかこの見知らぬ<相棒>に親密感を抱いたし、たぶんこのオリジナルを書いた学生も私の修正に仲間意識を感じてくれたと思う。
あるいは、その頃流行った漫談家・牧野周一の出し物にもトイレの落書きをネタにした笑い話があった。あるトイレに入ったら正面に「右を見ろ」と書いてあったので右を見たらそこには「左を見ろ」とあった。そこで左を見たら今度は「上を見ろ」と。さらに上を見上げると、天上には「トイレの中でキョロキョロするな!」とあった、というオチである。
いかがだろうか。トイレの落書きとはかにかくに、じつは見知らぬ同士がかりそめの時空を共有するコミュニケーションの場なのである。なかには下品なものも散見されはするが、多くは機知に富んだ明るい言葉遊びの世界であることを忘れてはならない。それはネットの書き込みの世界でも同じだが、ただSNSの場合は少し事情が異なるようだ。
私は毎朝TBSラジオの<森本武郎スタンバイ>を聴いているのだが、この番組の終わりにはいつもリスナーからのX(旧ツイッター)によるコメント投稿コーナーがあって楽しい。しかし先だってのある日、キャスターの森本が「この頃アホとか、死ねとか、聴くに堪えない下品な言い回しをする投稿が多くなって残念です。やめてください」と怒りを押し殺す声で語りかけてきたことがあった。いっぽうでは、女子プロレスラーを死に追いやったり、自分の旧友が在日であることに対して心無い言葉を吐きかけたりする書き込みが問題になるなどの事態も起こっている。
言葉が下品になるのは、その話者が下品なのではなくて、その話者が言葉の性質を知らないからにほかならない。私がひと頃通学していたアテネフランセのフランス人教師、クリストフ・ケスレー氏は「フィガロ」の契約特派員でもあり、語学教師のかたわら、日本の日常を紹介する記事を絶えずフランスに送っていた。この先生がつねづね記事のなかに書くことは「日本人はdébat(議論)が出来ない」というひと言だった。これはべつにモンテスキューの末裔だからそう見えるということではなくて、日本人が見てもそうとしか見えない現実だ。ひとつの言葉を発するときは、数限りない言葉のなかから選ぶ或る言葉を或る相手にいま発するのが最適かどうか、一瞬のうちに全精力を傾けて検証してからでなければならないのだが、その作業がどうしてもうまくできないという日本人の風土病……。
ただし、そんな日本的風土病のパンデミックの対極にあるものとして私は、民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』に描かれている情景にここで触れてみたい。宮本は全国津々浦々を踏破して各地の民間習俗をつぶさに調べあげ、膨大な枚数の写真を撮り、古老たちからはさまざまな昔話を聞き取るという作業を繰り広げた。『忘れられた日本人』はそうした古老たちが語るさまざまなエピソードを綴ったエッセイ集だが、そのなかに<村の寄り合い>という話題がある。各地の村々では村役場などという組織がない時代、それぞれの戸主や戸主代理がお宮の森などに寄り集まって共同体に関わる協議事項を話し合ったものらしい。
宮本は対馬の伊奈村で体験した出来事を取り上げる。――「私にはこの寄り合いの情景が眼の底にしみついた。この寄り合い方式は近頃はじまったものではない。村の申し合わせ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄り合いはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう」(『忘れられた日本人』より)
ここに紹介されているのは日本的な<和>の原型である。宮本によれば、彼自身もまだ子供の頃にそうした村の寄り合いに出たことがあるという。――「私はそれで今に忘れぬ思い出がある。子供の頃であった。村の寄り合いへ何となくいったのである。祖父についていったのか、父についていったのかも明らかでない。大ぜいであつまって話しあっていた。そしてその中の一人が大きい声で何かしきりに主張していた。子供だから話の内容はわからなかったが、とにかく一人でしゃべっている男の印象だけつよくのこっている。ところが、一人の老人が「足もとを見て物をいいなされ」といった。すると男はそのままだまってしまった。その時の印象が実にあざやかにのこっている」(同)
そういえば私も子供の頃、故郷山形の小さな町の寄り合いに祖父に手を引かれて顔を出したことがある。車座になってひとりづつボソボソ話し、周囲が黙って頷きながらそれぞれに聞き耳を立てるという構図は宮本常一ワールドと同じだった。ただ東北人の会話は山形だけでなくどこでもそうだったらしいが、誰もがけっして相手の眼を見ないで、視線を横にずらしたまま、話したり聴いたりを続けるのだった。おかしな格好なので強く印象に残っているが、こんな作法も地域の<和>のための大切な風習だったのだろう。そしてこの日本的な<和>の寄り合いは、西洋的な<民主的>議論とはまったくの別物だろうと思う。
宮本常一は『忘れられた日本人』のなかで<ワラ人形に五寸クギ>のエピソードも紹介している。「私は愛知県の佐久島で、五寸クギを何十本というほど打ちこんだ木を見せてもらったことがある。そのクギが人の形にうたれていることによって誰かが誰かを呪って、藁人形にクギをうちつけたものに違いなかった。この木は神社の森の中、神殿の背後の方にあったという」(同)。私は<ワラ人形に五寸クギ>の流儀は、呪う相手のDNAを証明するもの(髪の毛、爪のかけら等)をワラの中に押し込めればいいだけかと思っていたが、ここを読むと、神社の境内に立つ木に打ちつけなければ御利益がないらしいという新発見をさせてもらった。
それはさておき、宮本はこのエピソードの終わりに、「それほど深刻な人間関係のもつれ」があるとき、その解決のさせ方は<ワラ人形>の昔と宮本の当時で大きく変わってきたと言う。宮本の当時になると、呪い呪われる関係性にエスカレートする前に当事者の一方を「村の外へと出してやることが一番いい解決法であった。古くはそれが十分にできなかったのである。村の中でおこったことは村の中で解決しなければならなかった」(同)。――そして村のなかで解決できないその奥に、熾火のように広がるのが<ワラ人形に五寸クギ>の世界なのだと。
ネットの書き込みが下品になりやすいのは、それがトイレの落書きに似ているからというよりもむしろ<ワラ人形に五寸クギ>の心情に似ているからなのではないだろうか。現在という狭い狭いムラ社会のなかで孤独に生きる人たちの、ひたすら内向きにゆがんだ熱情が醸し出す隠微なヒステリーに近い心性。